NOIR et BLANC NO.376

376

医療を超えて ―あなたを癒す全ての方法― 376
「この日本人は西洋人に健康の鍵をもたらす」
記者:ジャン・パレスール

あるときは指導者、またあるときは教師、そして、我々の国においては「兄」にあたる「センセイ」と呼ぶ。その彼の名は桜沢如一というが、オーサワという名の方がよく知られている。どちらも「花の咲いた桜の木に縁取られた池」という意味である。
この風変わりな人は、40年以上前から自らを謙遜気味に「東洋の哲学者のようなもの」と言っており、西洋人や祖国を失った(文明化した)東洋人に、東洋の哲学、および科学の無双原理を説明しようと骨を折っている。その生理学的実践により、急性や慢性、不治といわれる全ての病気を治すことで、無限の自由、永遠の幸福、絶対の正義、そして世界の平和を保証する。
「私は誰にも影響を与えたくはない」と彼は断言する。「私は問題を解決する方法を与えますが、それぞれが自分ひとりで、真実を見つけるべきです。」と……。
その方法は、数多くの著書の中で説明されているが、彼によると「書き過ぎている」ようである。というのも、数ヵ月前にフランス語で出版された最新本『原子力時代と東洋の哲学』の序文にはこう記されている。
「なんという紙とインクの無駄使いだ! 書くのを止められたなら!……仏陀は一行も書かなかった。イエス
も! 老子はたったの83の文章だけ!般若心経は宇宙の秘密をたった300以下の文字によって説明している。私は無双原理を説明するために、いったい何ページを費やしたのだろうか?300冊以上を日本語で、20冊以上を外国語で書いている! 私は、とても恥ずかしい……。」

ところで、彼自身が勧め、忠実に実践する生活方法にも拘らず、彼は親しい友人に「10年以内にこの世を去るであろう」と打ち明けている。「本当にしゃべり過ぎ、多くを語り過ぎた天罰である」と……。
それでも、できるだけ簡単に説明する努力を重ねたにも拘らず、殆んど理解してもらえないことを彼は自覚している。何故なら「あなた方の言語には無い多くの言葉があって、私たちの世界観が反対側に住むあなた方のものと全く違うからです」と言う。
彼が期待しているのは、それでも一握りの人が彼の考えを「好奇心をそそられ興味深い」と認め、時には彼の文章を読んだり読みかえしたりして、少しずつ理解してくれることである。

「それがまさに、30年以上も前に書いた私の最初のフランス語の本である『東洋の哲学および科学の無双原理』の運命であった。5年前のある夜、カサブランカの商工会議所で初めて講演をしました。その後、聴衆のひとりが私を家に招いてくれました。私をとても立派な書斎に連れて行き、贅沢に装丁された一冊の本を見せてくれて、こう言ったのです。」

ーー「私が今日まで生き、この家と財産と工場を持つことができたのは、この本のお陰なんです。およそ30年前、私はソルボンヌの学生でした。私はこの人生と学問の中で生きていく意味が全くないように思い、悩んでいました。
ある日、パリの街をぶらつきながら、全く偶然に「50サンチーム」と書かれた古い箱の中で埃ほこりをかぶったこの本を見つけたのです! 読んでみましたが、最初は意味が全くわかりませんでした……。数年後、私はカサブランカで荷物の中に紛れていたその本を見つけ、再び読んでみました。
これは面白い!。意味が理解できたのです。それ以来、私は10回以上この本を読みました。読み直すごとに更に深く理解できるようになり、今現在も読み続けています。今は、私の宝物となりました。困難のどん底にいた時期に、この本が私を救ってくれたのです。」ーー

このような経験は何千となく繰り返され、「センセイ」の教えのお陰で世界中の男女が精神的、肉体的苦痛、中でも医者から不治と宣告された病気からさえも健康を取り戻し、幸福を手に入れた。今日、「オーサワの友人」からなるグループは、多くの国に存在する。
彼の祖国である日本はいうまでもなく、米国、南米、ドイツ、英国、イタリア、ベルギー、そしてフランスにも広がっている。更に、この「指導者」によって推奨されている特別な食品を扱う食料品店やレストランも存在し、何人かの医者が彼の方法を実践し、その効果に彼ら自身が驚いている。
ある一部の人が皮肉をこめて「治癒する哲学」と名付けるように、懐疑的な人々のためにも、これには研究に値する価値がある。何故ならそれが、治癒の希望を失った病人たちに健康を与えたという事実があるからだ。

私はオーサワが伝える話題の「無双原理」に目を向けてみた。私は「指導者」の文章、とりわけ『東洋の哲学および医学』と『最高判断力の書』を何度も読み返してみた。そして彼に従う人々に会い、彼が治したという証言を得て、幾人かの医者にも質問をしてみた。私がそこで得たものを客観性をもって報告する。

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オーサワが言うように、「極東の無双原理は非常に簡潔で素晴らしく実用的である。誰もがそれを理解することができるし、日常的に実践することができる。それは、すべてに共通する弁証法的な論理である。」
しかし、今から4千年以上前に弁証法的で物理学的であったこの論理は、その後「孔子のような解説者に解釈されて形而上学になってしまった」と、彼は認めている。その上、医者が介入したためにその説明を複雑にしてしまった。彼によると、それは「東洋医学と哲学を包み込む曖昧さと混乱が原因」であると……。更に、私はこれほどにも難解な分野から抜け出し、もっと簡単に解明するために、オーサワの人生を辿ることから始めることにした。つまり、私が思うに、彼の思索の進化の段階を知ることで、彼の考えをよく理解することができるであろうと……。

オーサワは1893年10月に京都で生まれ、10歳で親無し子となる。彼の母は助産婦で30歳で亡くなっている。その後、兄が16歳でこの世を去った。彼らは「西洋医学の可哀相な犠牲者」だったのだ。

「私自身、多くの病気に苦しんだ」と彼は続ける。

18歳の時に肺結核に罹り、その後は梅毒と、女性の病気以外のありとあらゆる病気を患った。その後、西洋医学からは完全に見放されていたが、18歳の頃から勉強していた東洋医学のお陰で、23歳の時に完全に健康を取り戻した。それ以来、彼は東洋の哲学と医学、および若返り術の方法について研究することになる。まず始めに、物理、科学、生物学について研究し、続いて心理的や精神的問題に取り組んだ。

「研究は結果として、特に生化学的食養法に向けられることとなった」と彼は説明する。

食べることは存在すること、食べることは考えること、話すこと、行動すること、愛すること、憎むこと、言い争うこと、互いに攻撃すること、殺すことができる。食べないということは、結果として何もすることができず、いづれは消滅する……。人間は、全ての生き物同様、食物から変換されたものである。
この確信は彼の方法を練り上げる中で支配的な位置を占め、今から70年前に「ナトリウム塩性」と「カリ塩性」という2種の化学的物質の相対的対抗性によって我々の肉体と精神生活の中における食物の重要な役割を明らかにした石塚左玄という日本人医師へ辿り着く。

「この医師は十数万人の「不治の病」を宣告され、諦められていた病人たちを治癒した」と、オーサワは明言する。

その石塚左玄が亡くなった時、葬列は2キロ以上に及ぶものであったそうである。

「私は今のところ、彼のたった一人の後継者です。しかし、彼の発見は4千年以上前からある無双原理の生化学的な新しい解釈であり、私はその生化学の論理により無限の自由、永遠の幸福、絶対の正義に至る大衆のための「無双原理」へと、更にもう一歩発展させたものです。」

しかしながら、それを完成させるためには、更に数年を費やさねばならなかった。中国、インド、日本の医学を研究した後で、オーサワは根拠のある予防策を示すこともできるであろう西洋医学も習得した。しかし「完全に一時的な対症療法」であると考え、オーサワは西洋医学の研究を数年後には諦めることとなった。
そして、初めてのフランスへの旅の途中で「無双原理」の優越を高く掲げつつ、彼の思想を具体的にする機会を得たのである。

(注)本記事は、原文をそのまま訳しているため、一部読みづらい箇所がございます。ご了承ください。

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