NOIR et BLANC NO.378

378

医療を超えて ―あなたを癒す全ての方法― 378
「この日本人は西洋人に健康の鍵をもたらす」
記者:ジャン・パレスール

20年近く各地を回って教えを広めている日本人オゥサワの著書、『無双原理』は次のように要約される;
宇宙の全ては二つの基本的な力で構成されている:陰と陽;それらは一見対立しているが、実際は補い合い、求心力と遠心力で相応じている。

《この真実を理解すれば、不可能はなくなる》と彼は言う。何故ならこれは宇宙法則の鍵であり、これが幸福を保証するからなのだ。

彼の言っている事は有名なストア派の哲学者、エピクテトスの言葉を思い起こさせる。エピクテトスは《人間とは幸福である、もしそうでないならば、それは自分自身の過ちである》すなわち、人間が幸福でないなら、それは意識していようがいまいが、自然の法則、宇宙の秩序に逆らっているからなのだ、と言っている。それは、言い換えれば《病気は我々の誠実なガイド》なのだ。:病気は警告のサイン、忠告、我々に当てて間違いを示しているのであって、我々を良い方向へ導いてくれるものなのだ。我々は本質的で根本的な治癒は、医学に求めてはいけない。我々の西欧医学は、病状に直接与える薬や毒を追求する、という対処療法に特徴がある・・

――西欧人は病気に対して敵対し、抗い、恐怖を抱く、そして完全な撲滅を求めて、暴力を以てそれを滅ぼそうとする。だが、敵を完全に破壊することは自然の法則に反している、とオゥサワは言う。
《東洋人の考え方は反対に、どんな過ちを犯したのか自問し、照らし合わせてそれに従う。東洋人は何よりもまず、自身の行動や道徳の中に原因を求める。全ての幸や不孝は行為から生じ、行為は判断から導かれる、と知っているからだ。もし不幸が訪れたならば、それは判断した者の責任なのだ。だから判断を訂正し、罰し、改善しなければならない・・・

《これが極東の医学が病気の症状自体を攻撃しない理由である。彼らは病気の発端に注目する。全ての病気の根本原因と同様に、全ての人間の不幸は自身の最終判断の不完全さによるのだ。医学はむしろ治療というよりは、哲学的、教育的なものになる。東洋医学は、どうやったら最高の判断力を明らかにできるのか指し示してくれる。せっかく永遠の幸福の世界に生まれながら、努力もせずに獲得した安易で儚い喜びに満足する代わりに、すべての世界の永遠の幸福を見つける努力をしているのだ・・・》

この教え方はまさしく、《指導者》又は《センセイ》であるオゥサワが世界全体に普及させているもので、彼は彼自身が書いたたくさんの本、とりわけ『東洋医学の哲学』と『東洋哲学と原子の紀元』の中でそれらを述べている。しかし、無双原理に密接につながったこれらの概念がアジア人にとって《とてもシンプル》だとしても、我々にとっては多分そうではないだろう。何故なら、我々の教育は我々を《文明人》にしてしまうからだ・・・

克服するための第一段階は、宇宙の全ての物質である陰と陽の区別を知ることである。オゥサワは我々に、形状や色、暑さ寒さ、重さなどによってその方法を示してくれる。
ざっと要約すると、陰は地球からの遠心力、水分過剰なもの全てのグループ、膨張、細長い形状のもの、活動的な緑から紫にかけての色調、軽さ、寒さ; 陽は求心力、熱、重さ、つぶれた形状のもの、水平のもの、赤からオレンジの色調で、化学的な見地から見れば、水素、炭素、特にナトリウムが豊富な化合物は、それらが少なくて反対に酸素や窒素、特にカリウムが豊富なものに比較すれば、より陽性だ、といえるだろう。
栄養学的にこれらを突き詰めていくと、《人間はすべての動物たちと同じように、食べるものによって変化していく生き物なのだ》ということがわかる、と《センセイ》は結論付けている:

――我々の生物学的な命は、葉緑素の産物によってもたらされた赤味のない製造物のプロセスでしかない。それは陰と陽の同化のプロセスなのだ。

《食物を調理する、ということは、陽(塩またはナトリウム、火、圧力、脱水など)のファクターによって、人間の本質としての複合物である植物の物質的、科学的な変化を容易にする、ということである。そして、火と塩を発見する、ということの意味と重要性こそが、動物とは区別された人類の栄光と悲劇の根本原理なのだ! この消化は各消化器官と連結して行われる:唾液(もっとも陰性)による炭水化物(もっとも陽性)、胃液による蛋白質、腸(もっとも陽性)における油(もっとも陰性)など。

《我々の生理学的な生命は、陰の色にも陽の色にも変化が可能なのだ。我々の健康、幸福、そして自由はこの変化の可能性に依存している。なんてシンプルなのだろう! セ・ラ・ヴィ! これが生命の重要な鍵なのだ!》
それは宇宙の秩序に背くことなく我々を導いてくれるだろう:植物は動物たちに食物を供給するために無機物を吸収し、それを食物に変化させる。植物は動物だけではなく、我々人間にとっても偉大な母なのだ。我々にすばらしい恩恵をもたらしてくれる。(驚くべきことに、植物の最終的役割は、葉緑素が生命体に炭素を与えていることだ、ということを、パリ医学部部長のレオン・ビネ博士は、かれの研究室での実験により認めている。:《地面に繋がれ動くことのできない植物が、馬のギャロップ、カモシカの跳躍、鳥の飛翔、人間の行動を生み出すエネルギーを解き放っているのだ・・・》)

オゥサワによって明らかにされている結論は:

―-我々は植物の生産物に依存している・・・すべての植物の栄養は、我々の身体を維持し、作るための純粋な物質である。動物の肉は、我々にとっては純粋な食べ物ではない。我々は原則として自分自身を養うのに、野菜と野菜から作られたものを食べるべきだ。それが根本的な生物学上の法則である。

《もしどうしても動物性のものを食べなければならないのなら、気候風土的にも経済的にもほんの少しの量にし、慎重に動物性のものを省いた野菜中心の優美な料理のアートを味わったほうが良い。》
マクロビオティックという言葉は、ギリシャ語の二つの言葉:マクロ(長いまたは大きい)とビオス(生命)が組み合わされて出来ていて、その意味はすなわち《長い生命のテクニック》ということになる。

――マクロビオティックは原始的な経験療法でもなければ、一時しのぎの迷信的な治療でもなく、五千年も前から伝わる唯一の原理、宇宙の弁証法的な概念を現実に置き換えた東洋哲学の原理を日々実施することなのだ。そしてそれは健康による幸福の道を指示してくれる。マクロビオティックはどんな病気であろうと飲食によって治癒するアートなのだ、たとえそれが不治の病であろうとも。

また付け加えると、この食養法は原爆に対しても可能な限り最良の防護になることがわかる、それは次のことからも証明される:

――長崎に、丘の上に建てられた、聖フランソワ‐グザビエ病院という、カトリック系の病院があり、その丘の脇の谷間に長崎大学附属病院という他の病院があった。原爆はこの二つの病院の間に落ち、同時に二つの病院を破壊した。大学病院のほうは、教授、看護師、患者など、約3千人が死亡したが、丘の上に晒されているほうの病院では一人の死者も出なかった。唯一の負傷者は、膝に軽いやけどをしたアルカントラ修道士だけであった。
ヴァチカンは《20世紀の奇跡である》と表明したが、誰もこの奇跡の秘密を探そうとはしなかった。この病院の医師は、マクロビオティックの信奉者で、何年も前からその食養法を厳格に順守していたドクター秋月だったのだ。

《広島でも同じことが言える:放射能によって負傷したにもかかわらず、この食養法を実践していた人々はみな生き残り、良好な健康を保っている・・・マクロビオティックを実践している人間は、たとえ原爆に直接さらされても、死ぬことはないだろう。

陰性である(遠心性の)放射能は、陰性の食物には結びつかない、とりわけ、フルーツジュースやワイン、シャンペンなど陰性の飲み物や、ビタミン剤などの陰性の薬品類、抗生物質、麻酔などは放射能の生け贄にはならないであろう。》

(注)本記事は、原文をそのまま訳しているため、一部読みづらい箇所がございます。ご了承ください。

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